演奏家集団と、クリエイト集団

この中国新民楽という分野で、あまり語られないことがあると思う。

一つに、この種のグループは、演奏するだけともいえる。自由に音楽をクリエイトする前に、「しっかり、演奏してこい」が使命であること。
ゆえに、リスナーの希望や期待は、グループに向けても無意味ジレンマを生じやすくはないだろうか。

二つに、中国では、しっかりとした学歴と教育を受けた者でない限り、音楽を創造するという行為への価値は高くないと聞く。
ゆえに、音楽を作るよりも演奏するほうの対価を期待する傾向にないか。

では、どうするか......こういったグループが、ひとつだけ、まだ、成し得ていないことがある。
それは、自己表現に他ならない。「自分達で望んだ音楽を、自分達で表現する」、たった、これだけのことである。
その方法論は数多くあるものの、たった、これだけのことができていなかったことに気づいた方は、多くはないだろうか。

私の知る多くの新民楽ファンの人達の声を聞くと、
「次のアルバムは、オリジナル曲でまとまとめてくれるのだろうか、どんな新曲があるのだろうか」
「カバー曲の料理法が楽しみだ、元曲を上回ってほしい」
といった内容が多い。多くの人が、新しい音楽への期待を感じているのではなかろうか。
こんなことが、そんなに難しいことなのであろうか......