ハワイ公演
去年の今日、つまり2005年10月31日に、東京池袋噴水広場において、
「東方女子楽坊」ことC-galがプロモーション活動をした。
詳しい映像は、こちら。
そして、そこで初めて、劉星や許慧を初めとした東方メンバー達に会った。
彼女たち東方にとって初来日である。
今まで、DVDの中のみの存在であった彼女たちを間近にした。
演奏終了後に握手会があり、やはりその瞬間はとても緊張していたのを覚えている。
また、許慧がビックリするほど目が大きく、形容できないほど奇麗だったという印象だけは記憶がある。
それ以外は記憶がない……。○| ̄|_
そして、次の日の朝。
私は羽田空港に向かった。
そこから乗り継いで関西国際空港からハワイに向かうからだ。
ハワイ到着1日目(現地時間10月31日)
ハワイに到着後、いろいろと観光をした。
そして、それだけで1日は過ぎていった……。
と思いきや、夕食後、ハワイはハロウィーンで大にぎわい。
私も友人と2人でハロウィーンを満喫。
後で知ったのだが、そのときに二胡奏者の雷荃と殷焱がハロウィーンで私たちとニアミスをしていた……。
余り広くない通りだったにもかかわらず、出会うことはなかった……。
やっぱり、私は縁がない……。
ハワイ到着2日目(現地時間11月1日)
2日目は、友達と、基本的にレンタカー(ムスタングのオープン)でハワイ中を観光。
ハワイって、こんなに雨が降ったり止んだりするんだ〜〜
と感慨深く思う。だんだん、ちょっとぐらいの雨では幌をかけなくなっていく…。
夜は、ハワイ公演。
席は3列目。
さすがに特等席だ。
胸にはVIPのワッペン。
ツアーのメンバーのうち私を含めた数人は、腕にライトスティックを輪にしたものを着けた。
(これは目立ってたらしい……)
演奏後の花束贈呈で私が担当したのは、
揚琴奏者の楊松梅(ヤンソンメイ)。
雷荃じゃなかったのか?
それは譲った……。
コンサート終了後、女子十二楽坊メンバー全員と記念撮影。
私のカメラがあまり良いカメラではなかったので、ツアーのメンバーの方にカメラをお借りする。
私は雷荃としばし会話。
実は、十二楽坊も北米ツアーが始まるトロント公演の時に、日本のファンからの礼物(プレゼント)企画があり、私の友人を通じて、雷荃に渡してもらっていた。
私は、全公演(トロント〜バンクーバーの全14箇所)に当てて、メッセージを送っていた。
私は雷荃は英語が得意だという一般のファン(私も含む)の認識に基づいて、メッセージを英語で書いて送った。
ハワイ公演後の雷荃とのしばしの会話での彼女の第一声は、
”応援のメッセージ、ありがとう”
だった(日本語で)。
ところがその次、
”でも、私、英語はだめ”(日本語で)
と手で大きく×印を作った。
力が抜けた… ○| ̄|_
1年以上誤解していたわけだ……。
というか、日本中のファンが誤解してるわけだ。
ただ、簡単な英語は通じたので、何とか気を取り直した。
私のつたない中国語と、簡単な英語と簡単な日本語で、しばらく会話を続けていた。
多分、このときの会話が今までで一番長い会話だった。
その後は宿泊ホテルに戻って、ツアー参加者で軽い反省会。
その時に、殷焱さんが泣いたことを知った。
他の十二楽坊メンバーは、相変わらずのようだった。
ハワイ到着3日目(現地時間11月2日)
他のツアーのメンバーは、そのまま帰国の途についた。
私ともう一人の友人とは、11時頃までぐっすり寝入っていた。
2人は、ツアーから離団して、バンクーバーに向かう。
そのための飛行機は、夜遅く(23時頃)に出発。
それまで2人でハワイを再度堪能した。
キーパーソン
私が生きてきた中で、過去を振り返ると、
あの人の存在が私の人生変えたな……
って思う人がいる。
そして、私にとって、その中に女性は2人……。
今日は、その2人の内の一人と逢った。
彼女は27歳。
私が彼女と会うのは2年ぶり。
初めて出会ったのは、新橋のとあるお店。
会社の先輩に連れられて行ったお店に彼女はいた。
私は彼女に会うために、2回、その店に行った。
その後、彼女は私の中国語の先生になった。
週2回、彼女が留学している大学の授業後に、私は中国語を教えてもらっていた。
授業は、約2ヶ月続いた。
中国語の勉強をし始めたのと同時に、私は十二楽坊の音楽を聴き始めた。
それは、彼女を理解しようとするための一つの行動だった。
ところが、それによって、私は、十二メンバーやファン、新民楽バンドの東方メンバーやそのファン、同じような中国古典楽器の演奏者の方々と知り合うことになった。
しばらくして、ちょっとした行き違いで、彼女とは会わなくなった。
それから2年…
2年前以上に彼女は美しくなっていた…
いまでも彼女には感謝している。
彼女がいたから、今の私にとっての、人とのつながりがある。
彼女がいなかったら、人のつながりは全く違ったものになっていたに違いない。
2年前、たしかに私は彼女に惹かれていた。
日本に単身留学して、がんばっているところに惹かれていたのか?
でも、それは違っていた。
今日、気づいた。
彼女には影があった…
私はそこに惹かれていたのだった。
彼女に出会えて良かったと心から思う。
ありがとう
2005年公演・千秋楽
2005年女子十二楽坊のコンサートツアーの千秋楽は、
大宮ソニックシティの夜公演(この日、2回公演があった)であった。
私は、3列目39番(確か……)
前の2列がDVD作成用の撮影に使われていたため、実質最前列。
さらに、向かって雷荃の真正面。
大地の囁き(独弦琴演奏ありの曲)からスタート。
大宮の昼公演では、少し後ろの方(30列目)から全体を見ていたので、今回は雷荃だけを見ていようと思ってた。
雷荃も気づいているんだか、いないんだか分からないような感じ。
さて、順次演奏が終わり、アンコールの曲が始まる。
袪麗君(写真右の左の女性)の「チャルダッシュ」が終わると、袪麗君は退場し、ピンクの衣装で、他のメンバーが入れ替わりで入場。
おきまりの、「奇跡」「自由」(ただし、この大宮公演では、ツアー後に主題歌として使用されるドラえもんの主題歌の演奏もあった)
雷荃は、「自由」の曲の始まりからうるうるしている。
何とか泪を抑えようと努力しているよう。
自由の曲演奏中はとにかく目に涙を溜めて、いっぱいになっていたのに、泪の雫は見えなかった。
そして、一旦二胡を置くために裏に戻った後は少し落ち着いた感じ。
まずは、各メンバーが両隣の人と両手を繋いで、両手を上に上げながらお辞儀。
雷荃は、全員で手をつないで、両手を挙げたときに、すぐにうるうるしてきたようです。それでも、何とか泪を抑えようと努力していたよう。
でも、さすがに耐えられなくなった感じで、つないでいた手を離し、後ろに下がってしまって、泪をぬぐっていた。
(このシーンはDVDではカット)
でも、もう限界に来たようで、号泣き状態は収まらず、
前列にいる数人の雷荃ファンを号泣状態の涙目で交互に見ながら、一生懸命手を振っていた(写真左)。
(このシーンはDVDに収録、CMでも流されていた)
握手会のときには、泣いた後とは思えないさっぱりした顔をしていた。
雷荃が公演で泣いたのは後にも先にも、このときだけであった。
しかし、今になって思う。
2004年の全国ツアー(別名残酷ツアー)の千秋楽では、ほとんどのメンバーが号泣きしているときに、雷荃だけは平気な顔をして手を振っていた。
(アルバム「輝煌」の付属DVDに収録)
なのに、2005年の全国ツアーでは、
いつも泣いてしまう殷焱(二胡隊の左から2番目の人(写真右の真ん中))
2004年の時も泣いていた周健楠(古箏の人)
以外は、意外と平気な顔をしていたのに、雷荃だけが号泣きしていた。
一体、あのときは何があったんだろう?
いつか、話ができるときがあったら訊いてみたい。
(私の存在が怖かったからという説もあり)
女子十二楽坊オフィシャルファンクラブ運営休止
昨日10月13日、女子十二楽坊のオフィシャルファンクラブで次のようなお知らせが出た。
女子十二楽坊のオフィシャルファンクラブが、運営を休止するそうだ。
平素、女子十二楽坊オフィシャルファンクラブ(OFC)をご利用いただきありがとうございます。大変残念なお知らせになりますが、OFCは11月30日をもちまして運営休止させていただくことになりました。開設以来、「女子十二楽坊を応援してくださる方々に喜んでいただきたい」と尽力してまいりましたが、運営を維持するコストの確保が困難になったため、このような運びになりました。会員の皆さまにご迷惑をお掛けすることをお詫び申し上げるとともに、ご了承及びご理解いただければ幸いと存じます。また、OFCは再開設に向けて、スタッフ一同努力してまいります。女子十二楽坊自体は、現在と変わらず活動を続けてまいります。会員の皆さまには、変わらぬご支援をお願いたします。
事務局の皆様には、お疲れ様と申し上げたい。
私も、曲がりなりにも、(女子十二楽坊ではないが)オフィシャルファンクラブの代表をさせていただいている。
その経験から考えてみても、正直、いろいろと大変なことが多かったのではないかと思う。
事務局のみなさんお疲れ様でした。
ただ、応援するオフィシャルの集団であるオフィシャルファンクラブがなくなると言うことは、やはりそれなりの覚悟をする必要があるのでしょうか?
十二楽坊の応援はとうの昔に止めてしまい、
今は、雷荃を通じて興味がある程度ではあるが、
今後を見守っていきたいと思う。
過去に愛した女性と同じように……。
Q7:「卵も食べないの?」
A7:「これも、極力避けます。含まれていることが分かった段階で食べません」
パン自体に卵を使っている製品が多いので、それを避けて買っています。
(ちなみに菓子パンは、別の理由(ショートニング)で食べなくなりました)
必然的に、ベーグルorフランスパンばっかりになりますが(笑)。
外食の時も、野菜、穀物、フルーツが主です。
ドレッシングとかは、使用しないように言えるところでは、かけないように言いますが、これも厳格にしていません。。
私も、いろいろと調べて分かってきたことが多いのですが、例えば、
「ベジタリアンの語源は野菜を意味するベジタブルなんでしょ?」
といった一般的な誤解に基づく質問は、いつか番外編で。
Q6:「出汁とかでかつおだしとか、魚介類で作った出汁も使っているけど、そういうのも駄目なの?」または、「豚肉の成分がしみ出している油を使って炒めたものも駄目なの?」
A6:「できるだけ避けますが、不可抗力で摂る場合も許容しています」
納豆に付いてくるだしにも、鰹節とか入っています。
分かった段階で、食べないように考慮していますが、そんなに厳格にはしていません。
そこまでやり出すと、今の外食生活(自炊をしない)がほとんど不可能になります。
Q5:「肉食べるのを我慢してるの?」または、「我慢しなくても良いのに〜」
A5:「特に、我慢しているわけでもありません。」
これは、なんとなくタバコの感覚に似ていますね。
私自身、2年半前までは標準的なスモーカー(1ヶ月40箱)でした。
18歳の大学入試の前の日から吸い出して、34歳の7月22日で完全にノンスモーカーになるまで、約16年間スモーカーでした。今は、吸っていません。
特に我慢しているわけでもありませんし、吸いたいと思ったりもしません。
ノンスモーカーの人は、タバコを吸うシーンを見てもそれほど吸いたいと思わないと思いますが、それに近い感覚だと思います。